牧野英一(読み)まきのえいいち

精選版 日本国語大辞典 「牧野英一」の意味・読み・例文・類語

まきの‐えいいち【牧野英一】

法学者。岐阜県出身。東京地方裁判所判事検事、東大教授を歴任。近代刑法理論にたち、教育刑論主観主義刑法理論を唱えた。学士院会員、文化勲章受章。著書「刑法研究」など。明治一一~昭和四五年(一八七八‐一九七〇

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デジタル大辞泉 「牧野英一」の意味・読み・例文・類語

まきの‐えいいち【牧野英一】

[1878~1970]刑法学者。岐阜の生まれ。主観主義的な刑法理論を展開応報刑主義を批判して教育刑主義を唱えた。文化勲章受章。著「日本刑法」「刑法研究」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「牧野英一」の意味・わかりやすい解説

牧野英一
まきのえいいち
(1878―1970)

刑法学者。明治11年岐阜県高山市に生まれる。1903年(明治36)東京帝国大学仏法科を卒業後、判事、検事を経て、同大学講師、助教授から13年(大正2)に教授となり、38年(昭和13)まで刑法講座を担当した。1910年(明治43)から3年間、ドイツ、イギリス、イタリアなどに留学し、とくにドイツのベルリン大学で新派刑法学のF・リストに学び、大きな影響を受けた。その後、リストに代表される新派刑法学(近代学派、実証学派)の刑法思想や刑法理論を広くわが国に紹介するとともに、自らも新派の実証主義を基調とする刑法理論や刑事政策論を全面的に展開した。彼は犯罪者(人間)の自由意思を否定し、犯罪は犯罪者の素質と環境の産物であると解する立場から、旧派形而上(けいじじょう)学的な道義的責任論や応報刑論を批判して社会的責任論や教育刑論を主張した。全20巻の『刑法研究』(1918~67)をはじめ、『刑法総論』全訂版上下(1958、59)、『法理学』1巻・2巻上下(1949~52)など著書は非常に多い。36年(昭和11)学士院会員、46年貴族院議員、50年文化勲章受章。昭和45年4月18日死去。

[名和鐵郎]


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改訂新版 世界大百科事典 「牧野英一」の意味・わかりやすい解説

牧野英一 (まきのえいいち)
生没年:1878-1970(明治11-昭和45)

刑法学者。飛驒高山に生まれる。1903年東京帝国大学卒業。07年同大学助教授,10年より13年までヨーロッパに留学し,F.vonリスト,E.フェリに師事,13年教授となる。38年定年退官。1936年学士院会員,46年貴族院議員,50年文化勲章受章。日本に新派刑法学の主張を持ち込み,〈学派の争い〉においては新派の闘将として論陣を張った。その特徴は主観主義的刑法理論と教育刑論にある。刑事責任の基本は犯罪反復のおそれ,行為者の性格の危険性にあると考え,犯罪を犯人の悪性の徴表であるとし,これに対して社会は防衛の方法を講ずべきであるとした。その一手段としての刑罰の目的は応報にあるのではなく,教育に,すなわち犯人の人格をして再び社会生活に適応させる点にあると主張した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「牧野英一」の意味・わかりやすい解説

牧野英一
まきのえいいち

[生]1878.3.20. 岐阜
[没]1970.4.18. 神奈川
日本の代表的刑法学者。 1903年東京大学を卒業後,06年同大学の刑法講座を担当した。 10年からヨーロッパに留学し,F.リストや E.フェリに師事した。その後,師以上に近代派刑法学を徹底し,主観主義刑法理論を完成した。また刑事政策の領域でも教育刑論を主張し,矯正実務に顕著な貢献をした。さらにフランス法の影響のもとに自由法論を推進し,法社会学の先駆となる業績も残した。 38年東京大学を定年退官後も意欲的研究活動を続け,『刑法研究』 (20巻) をはじめ,民法に関するものも含めおびただしい著作を発表した。主著に『刑事学の新思潮と新刑法』 (1909) ,『日本刑法』 (16) がある。

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百科事典マイペディア 「牧野英一」の意味・わかりやすい解説

牧野英一【まきのえいいち】

刑法学者。岐阜県出身。1913年―1938年東大教授。フェッリやリストの新派刑法学を日本に導入,目的刑論(教育刑論)を主張し,日本の刑法学界に大きな影響を与えた。また法哲学の面では自由法論を提唱した。第2次大戦後に貴族院議員。1950年文化勲章。著書《日本刑法》。
→関連項目小野清一郎教育刑論リスト

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「牧野英一」の解説

牧野英一 まきの-えいいち

1878-1970 明治-昭和時代の刑法学者。
明治11年3月20日生まれ。東京地裁判事などをへて,大正2年母校東京帝大の教授となる。主観主義刑法理論と教育刑論にもとづく刑法理論を主張し,おおくの立法に関与。昭和21年貴族院議員。25年文化勲章。弟に政治家牧野良三。25年文化勲章。弟に政治家牧野良三。昭和45年4月18日死去。92歳。岐阜県出身。著作に「日本刑法」「刑法研究」。

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世界大百科事典(旧版)内の牧野英一の言及

【刑法理論】より

…日本では,現行刑法が新派の影響をもかなり強く受けて成立したこともあって,新派が旧派に先行して有力に主張された点に特色があった。新派を代表したのは牧野英一であった。牧野は,目的刑論,とくに教育刑論と主観主義犯罪論を強く主張した。…

※「牧野英一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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