大前新庄(読み)おおさきしんしよう

日本歴史地名大系 「大前新庄」の解説

大前新庄
おおさきしんしよう

大崎付近に置かれた周防一宮玉祖たまのや神社領。もともとこの地は大前村・大前保として国衙領であったと思われるが、玉祖社周辺の土地であることから社領として認められたものらしい。

文永一一年(一二七四)一〇月五日の亀山上皇院宣案(京都大学所蔵東大寺文書)に、この地は「且以貞永 綸旨、雖備寺家之規模、彼以後度々被付社家畢」とみえ、東大寺支配下の国衙領であるが貞永年間(一二三二―三三)以降、社領として認められていたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報