大分校村(読み)おおぶんぎようむら

日本歴史地名大系 「大分校村」の解説

大分校村
おおぶんぎようむら

[現在地名]加賀市分校町ぶんぎようまち

箱宮はこみや村の南西にあり、南東部は山地那谷なた(現小松市)と境する。西の小分校こぶんぎよう村とともに古くは分校と称されたが江戸時代には二村に分けられ、明治一〇年(一八七七)合併して再び分校村となる。地内に多くの古墳がある。分校の地名は律令制下で班田の年に行われた校田に関係するともいう(加賀志徴)。文和四年(一三五五)四月一七日の後光厳天皇綸旨(妙法院文書)新日吉いまひえ(現京都市東山区)に寄進された所領のうちに「加賀国額田庄并加納八田庄、同歩教村」がみえるが、この「歩教村」が分校である可能性がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android