大分恵尺(読み)おおきだのえさか

朝日日本歴史人物事典 「大分恵尺」の解説

大分恵尺

没年:天武4.6(675)
生年:生年不詳
壬申の乱(672)で活躍した大海人皇子(のちの天武天皇)側の武将。姓は君。豊前大分(大分市,大分郡)出身の豪族。以前から一族大和朝廷舎人として出仕していたものと思われる。乱が始まるや,大海人の命を受けて,倭京近江方の留守司高坂王のもとに赴き駅鈴を乞うが失敗に終わる。その足で近江に向かい,近江大津宮にいた大津皇子の脱出を助け,さきに脱出した高市皇子と共に,大海人軍に合流し,その陣容を整えることに成功した。のちに天武は,死の床にあった恵尺を見舞い,破格にも外小紫位(のちの三位相当)を与え,子孫を厚遇することを約束したという。<参考文献>直木孝次郎『壬申の乱』

(狩野久)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大分恵尺」の解説

大分恵尺 おおきだの-えさか

?-675 飛鳥(あすか)時代の武人
大海人(おおあまの)皇子(のちの天武(てんむ)天皇)の挙兵(壬申(じんしん)の乱)に際し,大和(奈良県)吉野から近江(おうみ)(滋賀県)にいき,高市(たけちの)皇子と大津皇子を伊勢(いせ)(三重県)に脱出させた。天武天皇4年6月23日病床で外小紫(とのしょうし)の位をさずけられ,まもなく死去豊後(ぶんご)(大分県)出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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