大下町(読み)おおしたちよう

日本歴史地名大系 「大下町」の解説

大下町
おおしたちよう

[現在地名]東山区本町二十二丁目

阿保あぼの(現本町二十一丁目)の南、本町ほんまち(伏見街道)五条より数えて二二町目に位置(明治二年本町二十二丁目と改称)大下井おおしたいノ町の称もあった(坊目誌)

東福とうふく寺門前の南端、江戸時代には洛東最南端の町で、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」に「此町の南の辻に黒門有。是より南は伏見支配也」とみえ、天保二年(一八三一)刊「京都巡覧記」にも「此(大下町)南の辻、伏見黒門。これより伏見領也」とある。寛永一四年(一六三七)洛中洛外惣町数人家数改日記(「半日閑話」所引)に「同所(東福寺)門前大下町」と所見し、承応二年(一六五三)新改洛陽並洛外之図にもみえるから、開町は近世初頭にまでさかのぼろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報