多胡庄(読み)たごのしよう

日本歴史地名大系 「多胡庄」の解説

多胡庄
たごのしよう

吾妻鏡」治承四年(一一八〇)一二月二四日条は源(木曾)義仲が上野国から退却する記事を載せるが、そのなかに「彼国多胡庄者、為亡父遺跡之間」とみえる。義仲亡父とは源義賢であり、当庄は平安末期には源義賢の所領となっていた。その後史料を欠くが、南北朝期になると佐々木文書のなかに関連史料がみられる。観応二年(一三五一)二月一日の足利尊氏下文(案)で「上野国(多)胡庄地頭闕所分」が佐々木道誉に上総国一宮いちのみや庄などとともに宛行われる。しかし観応の擾乱のなかで先に下文で当庄を宛行われていた千葉氏胤らの押領があり、翌三年五月一八日に氏胤らに替地を与え道誉に当庄下地を安堵している(足利尊氏御内書案)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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