壇ヶ城跡(読み)だんがじようあと

日本歴史地名大系 「壇ヶ城跡」の解説

壇ヶ城跡
だんがじようあと

[現在地名]勝山市荒土町〈堀名・中清水〉

水無みずなし山の南麓、堀名中清水ほりめなかしみずの端山に位置する。「朝倉始末記」に、天正二年(一五七四)二月下旬、平泉へいせん寺を討つべく北袋きたぶくろに集結した一向一揆勢力のうち「大将杉浦并本覚寺ハ、細野道観兵衛・嶋田将監ガ拵タル壇ノ城ニ着陣アリ」とある。同書はまた、同年二月二八日の戦いに敗れた一揆方のうち「北袋ノ一揆ノ大将嶋田将監ニ、坂北ノ者ヲ五百人宛番ガヘニ相副テ壇ノ城ニ置キ」とも記す。西念寺系図(「越前若狭一向一揆関係資料集成」所収)によると、「鹿之谷反歩嶋田居住」の島田治郎左衛門正保は朝倉教景に仕え、文亀・永正の加越能三州合戦に軍功を得、大野郡北袋の地一千五〇〇貫を宛行われ、「堀名檀之城」を築いたが、天正三年七月、柴田勝家・金森長近軍勢に攻められ、九月五日落城したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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