堀北浦(読み)ほりきたうら

日本歴史地名大系 「堀北浦」の解説

堀北浦
ほりきたうら

[現在地名]尾鷲北浦きたうら町・さかえ

きた川を挟んだ村で慶長検地の際には右岸堀村左岸が北村と二村に分れていた。北村は低地帯のため台風などの被害を受けやすかった。北川は江戸時代末期に付けられた川名で、尾鷲組大庄屋文書所収の文書に水のない時はケチ河原、雨が降って多量の水の流れる時はドンドノ河原と記されている。十返舎一九は「金の草鞋」のなかで「尾鷲の出口に中ゑ川といふあり」と記し、中井なかい浦への出入口という意味で一名中井川ともよばれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報