城付五ヵ村(読み)しろづきごかそん

日本歴史地名大系 「城付五ヵ村」の解説

城付五ヵ村
しろづきごかそん

三原城周辺にあった三原浅野氏給知の村。城下五ヵ村・城属じようぞく五ヵ村ともいう。

浅野家記(「三原市史」所収)によると、延宝三年(一六七五)浅野氏の給知村は藩内の他の給知村と同様、免四ツ五歩で藩の代官支配となり、本途物成が三原城へ納入されるだけになったので、三原城の経営に支障をきたした。そこで同五年、城の周辺の御調みつぎ西野にしの村・東野ひがしの村・山中やまなか村・木原きはら村、海を隔てた豊田郡須波すなみ村の五ヵ村(畝合計三五六町四反余、高合計二二九〇・〇二一石)を一〇年間免平均五ツ七歩で三原浅野氏の請切支配とした。これが城付五ヵ村の始まりである。免がほかよりも高いときは差額を藩へ上納し、低ければ藩から足し米を給されることが条件とされたが、凶年の救恤米の支出、免の低下などで、一三年間に米二千石余の欠損が生じ、元禄四年(一六九一)八月、代官支配に戻した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android