坂本俊篤(読み)さかもと・としあつ

朝日日本歴史人物事典 「坂本俊篤」の解説

坂本俊篤

没年:昭和16.3.17(1941)
生年:安政5.10.25(1858.11.30)
明治期の海軍軍人高島藩(長野県)藩士坂本大造の次男。明治10(1877)年海軍兵学校卒。日清戦争(1894~95)には軍艦比叡」副長として出征。その後,海軍内教育に従事し,38年海軍大学校校長。同年中将となり,翌39年には教育本部長を兼任した。同40年男爵。大正2(1913)年予備役に編入。同6年から昭和14(1939)年まで貴族院議員として,軍縮反対の論陣を張り,総力戦に対応する諸制度導入を提唱するとともに燃料国策の確立を唱えた。燃料協会会長でもあった。

(小池聖一)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「坂本俊篤」の解説

坂本俊篤 さかもと-としあつ

1858-1941 明治-大正時代軍人
安政5年10月25日生まれ。フランス留学後,2度にわたり海軍大学校長をつとめる。教官陸軍の明石元二郎ほか各方面からすぐれた人材をあつめた。明治38年海軍中将。大正6年貴族院議員。昭和16年3月17日死去。84歳。江戸出身。海軍兵学校卒。

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