喜多七大夫宗能(読み)きた しちだゆう むねよし

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「喜多七大夫宗能」の解説

喜多七大夫宗能 きた-しちだゆう-むねよし

1651-1731 江戸時代前期-中期の能役者シテ方。
慶安4年生まれ。喜多流2代喜多十大夫当能(まさよし)の養子。寛文5年3代をつぐ。将軍徳川綱吉の指南役となったが,貞享(じょうきょう)3年改易される。翌年ゆるされ,中条嘉兵衛と改名し近習として出仕。養子十大夫長寛が七大夫となって喜多流4代をついだ。享保(きょうほう)16年7月6日死去。81歳。江戸出身。号は祐山。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の喜多七大夫宗能の言及

【喜多七大夫】より

…江戸初期からはじまる能のシテ方喜多流の大夫の通名。初世は北を,2世以降は喜多を用い,初世以後12世までの歴代大夫は,七大夫と十大夫を通名として交互に用いた。中でも流祖初世七大夫が傑出している。(1)北七大夫(1586‐1653∥天正14‐承応2) 初世。本名長能(ながよし∥おさよし)。堺の目医者内堀某の子(《近代四座(よざ)役者目録》)。1595年(文禄4)2月,10歳のとき〈金剛方七ツ大夫〉として興福寺薪猿楽に出演(〈薪能番組〉)したのが文献上の初出。…

※「喜多七大夫宗能」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

排外主義

外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...

排外主義の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android