善能寺村(読み)ぜんのうじむら

日本歴史地名大系 「善能寺村」の解説

善能寺村
ぜんのうじむら

[現在地名]浅羽浅名あさな

松下まつした村の西に位置する。永禄一二年(一五六九)正月二〇日の徳川家康判物(小笠原文書)によれば、小笠原与左衛門に与えた知行地のなかに浅羽の善能寺領三二貫文がみえる。村名の由来となった寺であるが、近世後期にはすでに廃寺となっている(遠江国風土記伝)正保郷帳には前能寺村とあり、田方六四石余・畑方八石余。横須賀藩領。元禄の地方直しにより旗本松平領となる(国立史料館本元禄郷帳など)

善能寺村
ぜんのうじむら

[現在地名]坂戸市善能寺

小山こやま村の南にあり、西は川角かわかど村・玉林寺ぎよくりんじ村・苦林にがばやし(現毛呂山町)。村名は広沢善応が文和年間(一三五二―五六)当地に建立した善能寺(現善応寺)に由来する(風土記稿)。小田原衆所領役帳には小田原衆布施弾正左衛門の所領として河越三三郷の善応ぜんのう寺分一九貫四七一文があり、弘治元年(一五五五)検地が行われていた。近世には入間いるま入西につさい領に属した(風土記稿)。元和三年(一六一七)五月二六日稲生次郎左衛門(正信)日西につさい(入西)のうち善能寺など三ヵ村三五五石余などが宛行われた(「徳川秀忠朱印状」稲生家文書)。田園簿では田七七石余・畑二三石余。旗本稲生領(五〇石余)・同河村領(五〇石余)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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