唐院村(読み)とういんむら

日本歴史地名大系 「唐院村」の解説

唐院村
とういんむら

[現在地名]川西町大字唐院

寺川と飛鳥川の間の微高地に位置し、東は梅戸うめど村。永仁三年(一二九五)の西大寺田園目録に「城下郡十一条五里十四坪一段字塔院田 クホタニアリ」とみえ、塔院と記す。また応永六年(一三九九)の興福寺造営段米田数帳(春日神社文書)の大乗院方の記載に「唐院 三十一町九反半」とあり、興福寺塔頭の唐院の所領があったと思われる。

永享二年(一四三〇)一一月二二日の筒井・箸尾合戦で唐院庄は焼払われ、箕輪みのわ寺も兵火にかかっている(箕輪寺再興之縁起)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報