和久城跡(読み)わくじようあと

日本歴史地名大系 「和久城跡」の解説

和久城跡
わくじようあと

[現在地名]福知山市字厚

南北朝期の文献にみえ、所在地はあつ茶臼ちやうす(五〇余メートル)に比定される。茶臼山福知山盆地の中央部に位置し、山頂は平坦でかなり広い。交通の便もよく、展望も開ける。現在ホテルが建つが、以前は幅一〇メートルもある長い腰曲輪が南側から東側にかけて山腹に二段ないし三段あり、北東部分(地蔵ヶ鼻という)に出丸の跡があった。

南北朝初期、和久城に拠っていたのが誰であるか不明だが、建武四年(一三三七)一〇月日付久下重基軍忠状(久下文書)に、

<資料は省略されています>

とあって、足利尊氏方の仁木頼章(丹波守護)配下が和久城を攻めているので、この時は後醍醐天皇(南朝)に味方する者が居城していたことは確かであろう。同月一九日には和知わち(現船井郡和知町)地頭片山彦三郎高親が同じく頼章に従って和久城を攻め(片山文書)、暦応二年(一三三九)六月二日にも久下重基は和久城攻めに参加している(同年七月日付「久下重基軍忠状」久下文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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