周吉郡(読み)すきぐん

日本歴史地名大系 「周吉郡」の解説

周吉郡
すきぐん

島後どうごのほぼ東半部を占める。江戸時代、西に接する越智おち郡との境は史料により異同があるが、現在の西郷さいごう町・布施ふせ村と都万つま村の一部にあたる。

〔古代〕

藤原宮跡出土木簡では「次評」、または周吉郡とあるが、平城宮跡出土木簡・長屋王家木簡、天平元年度の隠伎国郡稲帳、天平四年度の隠伎国正税帳(ともに正倉院文書)、「延喜式」などでは周吉郡とする。「和名抄」は賀茂かも奄可あむか新野にいのの三郷を載せるが、平城宮跡出土木簡・平城京二条大路跡出土木簡に「上里」「上部郷」「山部郷」とあり、奈良時代は三ヵ郷以上が存在したと推定される。「養老令」戸令定郡条によれば当郡は下郡に相当し、天平四年度の正税帳には大領の署名がある。郡家は現西郷町加茂の大領かものたいりようと推定する説がある(島根県史)。前掲木簡などにより当郡が伊加(烏賊)・軍布・海藻・螺・鰒などを貢進していたことが知られる。天平元年度郡稲帳には穀九一八石三斗五升九合・穎稲五千九八六束四把余・古酒二腹とある。同四年度正税帳には穀八千四五六石五斗八升四合余・粟四二石三斗九升・穎稲三千八六束・糒一〇七石一斗一升一合・醤二石盛缶三口・末醤五斗盛缶一口とある。正倉一七間のうち不動穀倉五・動用穀倉一・穎倉一・郡稲倉四・公用稲倉一・義倉一・糒倉一・空三。郡司として大領の外正八位上勲一二等大私直真継がみえる。「延喜式」神名帳記載の加茂那備神社は現西郷町加茂、水祖神社は同町みなと町、玉若酢命神社は同町下西しもにし、和気能須命神社も同下西の同名社に比定されている。八尾やび川下流の西郷町の平野部に条里遺構がみられる。当郡の南部、西郷湾に近い一帯には国府が置かれ、国分僧寺・国分尼寺の建立があった。

〔中世〕

平安末・鎌倉初期の当郡内には犬来いぬぐ(現西郷町)と、とう郷・西さい郷・加茂郷・原田はらだ郷・中村なかむら別符(現同上)の五つの国衙領があった。犬来牧は知夫里ちぶり郡の宇賀うか牧とともに平安末期に平氏によって設定された牧場(庄園)で、主として軍事用の馬の飼育・放牧などに用いられたと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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