名懸丁(読み)なかけちよう

日本歴史地名大系 「名懸丁」の解説

名懸丁
なかけちよう

[現在地名]仙台市中央ちゆうおう一―二丁目・名掛丁なかけちよう

元寺もとてら小路の一筋南、大町おおまち通の東端新伝馬しんてんま町に続く名懸組の士屋敷。東進すると東六番ひがしろくばん丁と交わり、東七番丁北詰を過ぎ、二十人にじゆうにん町の通りに連なる。町名の由来となった名懸組は、伊達氏一〇代氏宗のときに名を懸けられ麾下に属した譜代の組士で(年未詳「名懸組百人連判願」斎藤報恩会蔵)、「貞山公治家記録引証記」慶長一四年(一六〇九)条に仙台城下で行われた「つるべ鉄砲」を勤めた諸組のうちに名懸組がみえる。同年頃には当町が置かれていたと考えられる。正保仙台城絵図では歩者屋敷とある。当町より二筋北の花京院かきよういん通と交わり、東六番丁の一筋西にあたる通りには寛文(一六六一―七三)末年頃に新名懸組が配され(「肯山公治家記録」延宝元年条)新名懸しんなかけ丁と称した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報