吉田昌郎(読み)よしだまさお

百科事典マイペディア 「吉田昌郎」の意味・わかりやすい解説

吉田昌郎【よしだまさお】

技術者。大阪府出身。東京工業大学大学院原子核工学を専攻し,1979年に通産省(現,経済産業省)の内定を辞退し,東京電力(東電)に入社した。入社後は,福島第二原子力発電所2号機の建設事務所など原発関連の現場を数多く経験したため,東電本店勤務は少なかった。2010年に福島第一原発所長就任。2011年の東日本大震災の際,3月12日夜に福島第一原発1号機に対し,東電本店幹部が海水注入を中断するように指示したのに対し,独断で注入を続行し,1号機の燃料溶融の進行を防いだと評価されている。しかし,この措置自体が手遅れだったとの評価もある。ただし,その後も危機的状況が続くなか,部下とともに現場に踏みとどまって復旧に当たった功績は大きい。豪放磊落(らいらく)な性格で,社内では〈吉やん〉の愛称で親しまれた。なお,死因食道癌であったが,東電広報部は〈担当医の診断の結果,死去被曝との直接的な関係はない〉と発表している。→原子炉

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知恵蔵mini 「吉田昌郎」の解説

吉田昌郎

日本の技術者、元福島第一原子力発電所所長。1955年2月17日、大阪府生まれ。77年、東京工業大学工学部を卒業し、大学院で原子核工学を専攻。79年、東京電力株式会社に入社。2007年、原子力設備管理部部長となる。10年6月より執行役員・福島第一原子力発電所所長。11年3月11日に発生した福島第一原子力発電所事故において、現場の最高責任者として果敢に対応に当たった。特に、東京電力本店から原子炉冷却のための海水注入の中止を命じられた際、独断で続行を指示したことは、大惨事を防いだものとして評価が高い。11年12月、食道がんにより所長を退任、原子力・立地本部付に異動。13年7月9日、食道がんにより死去。享年58。

(2013-7-11)

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