吉田 章信(読み)ヨシダ ユキノブ

20世紀日本人名事典 「吉田 章信」の解説

吉田 章信
ヨシダ ユキノブ

大正・昭和期の医学者 東京体育専門学校教授。



生年
明治17(1884)年3月20日

没年
昭和31(1956)年1月13日

出生地
岡山県西北条郡田邑村(現・津山市)

旧姓(旧名)
田口

学歴〔年〕
九州帝大〔明治44年〕卒

学位〔年〕
医学博士(東京帝大)〔昭和2年〕

経歴
田口龍治郎の三男に生まれ、明治39年岡山県撫川町の吉田家の婿養子となる。津山中、六高を経て、同年京都帝大福岡医科大学(九州帝大医学部の前身)に進み、44年卒業後、陸軍二等軍医となる。陸軍戸山学校、軍医学校で主に生理衛生に関する文献を広く研究し、大正5年日本初の運動医学書の出版とされる「運動生理学」を著す。9年一等軍医で予備役となり、東京市学校衛生主任技師兼視学、10年文部省衛生官、13年国立体育研究所首席技師及び衛生学部長を兼任。昭和4年体育医学研究のため欧米に留学。5年帰国後、世界教育会議衛生部副議長、文部省教員検定委員会委員などを務め、16年東京体育専門学校が新設され首席教授となる。運動の生理、衛生の研究を進め、学校体育・社会体育の指導にも努めた。また特記すべき業績は、身体局所運動の主働筋を解剖学的に分析し、24部に分類したこと、種々の運動に適する心身の適応形式(運動体系)を7種類に分けたことである。19年退官後は、東京医科歯科大学東京女子医科大学などで教鞭を執った。著書に「運動衛生学」「体力測定」「学徒体力標準表」「欧米体育の新研究」など多数

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報