古国府村(読み)ふるごうむら

日本歴史地名大系 「古国府村」の解説

古国府村
ふるごうむら

[現在地名]大分市古国府

六坊ろくぼう村の南にあり、上野丘うえのがおか台地の南、大分川の左岸に広がる。文和四年(一三五五)六月一八日の萬寿寺首座智徹等連署書状(大友文書)に「古国府闕所之薄地」とみえ、萬寿まんじゆ寺領である同寺北辺屋敷畠地等と古国府闕所の地とが相博され、同寺北側に保寿寺が建立された。ところが古国府闕所地は有名無実の薄地(生産力の低い土地)であったため萬寿寺の寺用が欠乏した。保寿寺はまもなく荒廃したので、首座智徹らが連署して、もとのごとく返還を申請した。永禄一三年(一五七〇)正月吉黄の銘のある速見郡藤原ふじわら(現日出町)万松山霊藤禅寺棟札(南藤原図跡考)に、古国府の大工矢野雅楽助が、大檀那大友義鎮・願主藤原鎮次の依頼により建造したとある。

慶長一三年(一六〇八)府内藩主竹中重利によって検地が行われ、大分郡荏隈郷古国府村検地帳(東京大学史料編纂所謄写本)では高四〇二石余、上田一石六斗・上畑一石一斗と非常に高い石盛がなされている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報