南豊島郡(読み)みなみとしまぐん

日本歴史地名大系 「南豊島郡」の解説

南豊島郡
みなみとしまぐん

明治一一年(一八七八)の郡区町村編制法の施行により、朱引外六郡のひとつとして近世の豊島郡を南北に二分するかたちで設置された。成立時には北は北豊島郡、西は東多摩郡、南は荏原えばら郡、東は芝・麻布・赤坂・四谷・牛込の各区と境を接した。「地方沿革略譜」によれば同年には八町二四ヵ村で構成され、戸数四千五九二・人口一万七千九九四、東京府一五区六郡のうち人口・戸数ともに東多摩郡についで少なかった。郡役所は内藤新宿に置かれた。同二二年の町村制の施行により、早稲田村(現新宿区)が牛込区に編入されたほか、一部地域が麻布区・赤坂区・四谷区に移管された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報