千躰村(読み)せんだむら

日本歴史地名大系 「千躰村」の解説

千躰村
せんだむら

[現在地名]熊山町千躰

勢力せいりき村の北東、熊山北麓にあり、北から西側を吉井川が流れる。永和三年(一三七七)一〇月在銘の日応にちおう(現岡山市)所蔵鐘名に「千躰大工友行」がみえる。慶長一〇年(一六〇五)備前国高物成帳(備陽記)香登かがと庄に村名がみえ、同一八年和気郡御勘定帳によれば物成一一石余、夫米六斗余。寛永備前国絵図では高五七石余。正保郷帳に「せんだい」と仮名が振られる。「備陽記」によれば山寄せ川端集落で、岡山さかえ(現岡山市)まで道程六里。船路倉安くらやす川通り岡山京橋(現同上)まで七里余。田畠一〇町七反余、家数二八・人数一四二、池三。文化年間の「岡山藩領手鑑」では直高一一〇石余、蔵入と家臣二名の給地。田高一七石余・一町五反余、畑高八一石余・九町一反余、物成合計四六石余。

千躰村
せんたいむら

[現在地名]住吉墨江すみえ一―二丁目・千躰一―二丁目・南住吉みなみすみよし二丁目など

細江ほそえ川を境に青蓮寺しようれんじ村・坂之井さかのい村・新町しんまち村の南に位置する。村域は東西に細長く西部を阿部野あべの街道(熊野街道)が南北に通じる。「住吉松葉大記」によれば、昔この地に千体地蔵菩薩像のあったことが村名の由来という。もと住吉村の属邑で、「摂津志」に「住吉 町名一属邑十一」とあるうちの一村とされる。天保郷帳では独立村(高一四三石余)として扱われている。江戸時代を通じ住吉社領。字神辺にあった津守つもり寺は、住吉神主津守氏の氏寺として創建され、天台宗に属し、瑠璃寺とも称した。明治初年廃寺となる。「蘆分船」によれば本尊薬師如来、住吉社の御本地堂とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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