千歳(旧村名)(読み)ちとせ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「千歳(旧村名)」の意味・わかりやすい解説

千歳(旧村名)
ちとせ

大分県南部、大野郡にあった旧村名(千歳村(むら))。現在は豊後大野市(ぶんごおおのし)の中央部北東寄りにあたる地域。1941年(昭和16)井田(いだ)、柴原(しばはら)の2村が合併して千歳村が成立。2005年(平成17)三重(みえ)町、清川(きよかわ)村、緒方(おがた)町、朝地(あさじ)町、大野(おおの)町、犬飼(いぬかい)町と合併して市制施行、豊後大野市となった。旧村名は合併時の県知事の命名で、知事の母の名によるという。大野川中流と同支流の茜(あかね)川の沿岸沖積地の米作、その周辺の阿蘇(あそ)溶結凝灰岩台地の畜産(肉用牛)、葉タバコ、ハトムギ花卉(かき)など農業が主産業。国道57号が通じる。平尾社(ひらおしゃ)の石造宝塔・鳥居は県指定文化財。柴山八幡(しばやまはちまん)社のひょうたん祭は県選択無形民俗文化財で、12月第1日曜日に開催。

[兼子俊一]

『『千歳村誌』(1974・千歳村)』

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