朝日日本歴史人物事典 「千宗室(11代)」の解説
千宗室(11代)
生年:文化7(1810)
幕末・明治初年の茶道宗匠。裏千家の当主。三河奥殿(岡崎市)の領主松平乗友の子。10歳のとき千家の養子となる。名は栄五郎。玄々斎,虚白斎,不忘,精中と号した。裏千家を中興,流儀を超えて近代茶道の基礎を確立した。その第1は教授課目の充実と公開(出版)であり,点前を理論的に体系化し,咄々斎(次の間とも14畳)を根本道場として建てた。加えて専門的な教授陣(業躰)を育成し,茶道普及のシステムを完成。明治5(1872)年「茶道の源意」を政府に提出して,茶道の遊芸に属さないことを主張した。室の宗柏(玄華斎,10代宗室認得斎の娘)も女流茶人として高名。<参考文献>納屋嘉治編『玄々斎精中宗室居』
(戸田勝久)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報