十一ヶ用水(読み)じゆういつかようすい

日本歴史地名大系 「十一ヶ用水」の解説

十一ヶ用水
じゆういつかようすい

初め熊田くまだ平井へい二町掛にちようがけ冬島ふじま吉田よしだ下大倉しもおおくら小泉こいずみ村・持明寺じみようじの九ヵ村を灌漑する用水があったが、これに西大井にしおおい下河去しもかわさりの二ヵ村が慶長一〇年(一六〇五)頃に加わったので十一ヶ用水という。取水口吉野瀬よしのせ川の下司げし村付近。

慶長一〇年、西大井の利兵衛なる者が、九ヵ用水の水利権を得て西大井・下河去両村を灌漑するため、新たな用水の開削を計画したと伝える。この新用水は西川にしかわ用水・二ヶ用水・千人堀せんにんぼり用水とよばれ、日野川(白鬼女川)沿いの白鬼女しらきじよ(上鯖江村の枝村)付近で取水し、ここからほぼ北西流して吉野瀬川に落す一三町二〇間余の水路をいう。

十一ヶ用水
じゆういつかようすい

神楽かぐら川の上流和田わだ川から引水するため和田川用水ともいった。寛永一五年(一六三八)神楽川沿岸一一ヵ村を灌漑するため開削されたと伝える加賀藩公認用水。取水口は礪波となみ栴檀野せんだんの(現砺波市)にあり、途中芹谷野せりだにの用水、ななつヶ池・らいヶ滝(現砺波市)などの落水を集めて流れ、当初は放生津ほうじようづ潟に、のち吐水川の開削によって庄川に合流するようになった。当町域では橋下条はしげじよう村・橋下条新村小杉三こすぎさんヶ村がこの用水の恩恵を受け、現在も利用している。この用水は落水を受入れているため一度豪雨になれば氾濫し、沿岸諸村の被害ははなはだしかった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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