北鶴田新田(読み)きたつるだしんでん

日本歴史地名大系 「北鶴田新田」の解説

北鶴田新田
きたつるだしんでん

[現在地名]宇佐市北鶴田新田

南鶴田新田の北に位置し、同新田と同じく日田の郡代塩谷正義の見立によって開発された。寄藻よりも川河口の西側、松崎まつさき村の東方地先を埋立てた干拓地で、北は久兵衛きゆうべえ新田など。天保七年(一八三六)の北鶴田新開凡取調帳(広瀬家文書)などによると、着工は文政七年(一八二四)。当時、松崎村など一帯を領有していた肥前島原藩の役所に願書を提出したうえで工事を進めたが、工事完成後、「御料新開ニ相成申候」とあって、同九年の竣工後まもなく幕府領となったと考えられる。当新田をはじめ塩谷正義が見立てた周防灘沿岸一四新田のうち、ほかの一三新田は文政九年から同一一年までの着工であるから、当新田が先駆けであったことになる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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