北矢野目村(読み)きたやのめむら

日本歴史地名大系 「北矢野目村」の解説

北矢野目村
きたやのめむら

[現在地名]福島市北矢野目

沖中野おきなかの村の南、八反田はつたんだ川右岸の下位洪積段丘上に立地。永正一三年(一五一六)四月二三日の伊達稙宗安堵状案(伊達家文書)に「信夫之庄北郷谷目之内、大畠一宇」とあり、佐藤孫右衛門が長倉方から購入した同地にある在家などを安堵されている。谷目やのめは南矢野目も含んだ当地に比定される。天文七年(一五三八)の段銭古帳には信夫北しのぶきた郷のうちとして「北やの目」とみえ、段銭は五貫九七五文。なお当地一帯は余目あまるめ(余部庄)に含まれたとされる。文和二年(一三五三)四月一〇日の足利尊氏袖判下文(熱海白川文書)によると、「信夫庄余部」の地頭職勲功の賞として結城白川顕朝に宛行われ、同月一三日には仁木頼章が同地を顕朝の代官に引渡すよう長沼淡路守に命じている(「仁木頼章施行状」長沼文書)。延徳三年(一四九一)六月日の大蔵寺千手堂鰐口銘(福島県史)に「余目里」とある。「信達一統志」は近世の余目庄として摺上すりかみ川と松川の間に所在する二三村をあげている。

文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に北谷目とみえ、高八七九石余。近世初期の邑鑑によると免五分、家数一四(役家五・肝煎一、脇家八)、人数三五、役木として桑がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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