北片瀬村(読み)きたかたせむら

日本歴史地名大系 「北片瀬村」の解説

北片瀬村
きたかたせむら

[現在地名]勝山市片瀬

大師だいし山西南麓に位置し、南は南片瀬村。天文八年(一五三九)一〇月一八日の平泉寺賢聖院々領所々目録(平泉寺文書)に「片瀬村分」として「一、代壱貫四百文 無正供 院領」とあり、その傍注に「壱ケ所ハ南村堂之南ニ在之、壱ケ所ハ北村之ハツレニ在之」とみえる。院領は計八・五六石と一四貫七二〇文および大豆一石・藁六束であった。なおこれによって、当時すでに「北村」と「南村」に区分されていたことがわかる。

慶長三年(一五九八)の北片瀬村検地帳(片瀬文書)によると、上田一一町七反余・中田六町四反余・下田二町七反余、居屋敷四畝余、上畠二町六反・中畠七反余・下畠一町二反、永荒一町二反余、田畠計二六町七反余、分米四二六・三七石であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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