北涼(読み)ホクリョウ

デジタル大辞泉 「北涼」の意味・読み・例文・類語

ほく‐りょう〔‐リヤウ〕【北涼】

中国五胡十六国の一。397年、後涼の大守段業匈奴沮渠蒙遜そきょもうそんに擁立されて、甘粛北部に建国。401年、蒙遜は段業を殺して即位。439年、北魏に滅ぼされた。

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精選版 日本国語大辞典 「北涼」の意味・読み・例文・類語

ほく‐りょう ‥リャウ【北涼】

中国、五胡十六国の一つ三九七‐四三九)。後涼の建康(甘粛)の太守、段業が、匈奴の沮渠蒙遜(しょきょもうそん)に擁立されて甘粛北部に建国。のち北魏に滅ぼされた。涼。

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旺文社世界史事典 三訂版 「北涼」の解説

北涼
ほくりょう

397〜439
五胡十六国の1つ
匈奴 (きようど) の沮渠蒙遜 (そきよもうそん) が後涼 (こうりよう) の建康(甘粛省)の太守段業を擁立して建国し,401年蒙遜は業を殺して即位した。南涼西涼と争ったが,北魏の太武帝に滅ぼされた。

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改訂新版 世界大百科事典 「北涼」の意味・わかりやすい解説

北涼 (ほくりょう)
Běi Liáng

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「北涼」の意味・わかりやすい解説

北涼
ほくりょう

五胡十六国

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「北涼」の解説

北涼(ほくりょう)

涼(りょう)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北涼」の意味・わかりやすい解説

北涼
ほくりょう

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世界大百科事典(旧版)内の北涼の言及

【五胡十六国】より

… 華北は再び混乱におちいり,東方では慕容部が国家再建をはかり(後),前秦の本拠関中では羌族姚氏が勃興した(後)。河西地方では氐族呂氏が後を興したが,やがて鮮卑の南と匈奴の北が分離し,北涼からはまた漢族の西が独立して,これらの国々は互いに抗争した。東晋政権はおりにふれて華北奪回の遠征を試み,東晋末,劉裕(宋の武帝)は一時長安,洛陽などの要地を占領したが,結局放棄した。…

【涼】より

…397‐439年。通称は北涼。張掖(ちようえき)(甘粛省張掖県)付近にあった匈奴部落の首領沮渠蒙遜(しよきよもうそん)は,近親が後涼の呂光(337‐399)に殺されたので挙兵して397年(神璽1)呂光の臣下段業(?‐401)を涼州牧に戴いた。…

※「北涼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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