北久太郎町(読み)きたきゆうたろうまち

日本歴史地名大系 「北久太郎町」の解説

北久太郎町
きたきゆうたろうまち

北久太郎町通の両側町で、東は東横堀ひがしよこぼり川に架かる農人のうにん橋西詰より御堂みどう筋までの間で、一丁目から五丁目まである。慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原合戦当時、同川の本町ほんまち橋の南に久太郎町橋があり(当代記)、また同二〇年の大坂濫妨人并落人改帳には久太郎町四丁目がみえ、当町と南久太郎町前身である可能性が強い。延享版「難波丸綱目」に当町あるいは北久太郎町筋の所付で箔おき・箒・絵具・盆折敷・貸輿屋があげられ、とくに金銀粉梨子地薄所は「数多あり」と注記される。一―二丁目にはみす屋すだれ・よしず、三丁目には漆屋があげられ、塗師の居所は当町より安堂寺あんどうじ(現南区)までの間とされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報