勝倉村(読み)かつぐらむら

日本歴史地名大系 「勝倉村」の解説

勝倉村
かつぐらむら

[現在地名]勝田市勝倉・大平おおだいら二―四丁目・青葉あおば町・大成たいせい

那珂川の北岸にあり、東は金上かねあげ村。常陸大掾系図によると鎌倉時代初期に吉田広幹の子俊幹が勝倉四郎を名乗り、勝倉郷の地頭として土着したという。鹿島大使役記抄記(石川氏文書)には「応安元年吉田勝蔵」とみえ、勝倉郷の吉田氏は応安元年(一三六八)鹿島神宮の大祭使役を勤めた。文禄五年(一五九六)の御蔵江納帳(秋田県立図書館蔵)に「高九百三十七石四斗七升 此内二百九十二石六斗八升 荒 定物成八十貫文 皆納 真崎豊後勝倉」とあり、佐竹義宣の蔵入地であった。慶長七年(一六〇二)の万千代様水戸領知行割(彰考館蔵)に「勝倉」とあり、寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高には「勝倉村」とみえる。「水府志料」によると戸数およそ一三三で、「新編常陸国誌」によると「上、中、下、台ノ四組」があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報