加守廃寺(読み)かもりはいじ

日本歴史地名大系 「加守廃寺」の解説

加守廃寺
かもりはいじ

[現在地名]當麻町大字加守

加守かもり集落の西、葛木倭文坐天羽雷命かつらぎのしどりにいますあめのはずちのみこと神社北西にどうの池とよばれる溜池があり、池畔の四天王堂という小堂付近から複弁蓮華文鐙瓦(岡寺式)が出土している。県指定史跡。礎石も残っていたが、塔の心礎は加守の浄土真宗本願寺派教善きようぜん寺、金堂礎石は当麻寺護念ごねん院に移されている。

正倉院文書の天平二十年八月以来上日帳(経師等上日帳)には、皇后宮職の舎人大初位下伊福部宿禰男依が天平二〇年(七四八)八月から翌二一年三月まで主として奈良東大寺写経所に上日したとあるが、「三月日十一夕十掃守別当」とあり、掃守かもり寺に別当として出向いていた。遺跡はこの掃守寺のものとみられる。天平勝宝二年(七五〇)の掃守寺造塔所解(正倉院文書)には、

<資料は省略されています>

とあり、掃守寺別当として、塔の造営に従事した智識・優婆塞ら六人の上日を報告したもので、当時この寺の塔が建造あるいは修造されていたことがわかる。さらに同年の造東寺(東大寺)司櫃納経并未返経論注文(正倉院文書)には「二合、納大般若経一部、奉請掃守寺」とあり、東大寺写経所で写された大般若経一部を二合の経櫃に入れて掃守寺に渡したことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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