20世紀日本人名事典 「前田 純孝」の解説 前田 純孝マエダ スミタカ 明治期の歌人 生年明治13(1880)年4月3日 没年明治44(1911)年9月25日 出生地兵庫県二方郡諸寄村 別名号=翠溪 学歴〔年〕東京高師国漢科卒 経歴師範在学中に作歌に入り、上京後「明星」に参加、明治33年11月の第8号より作品を発表した。短歌の他長詩も発表、また長編叙事詩の合作に加わる。のち「白百合」に移り活躍。傍ら唱歌作詩も行い、その作品は「中等教育唱歌集」(41年)などに収められている。「東の啄木、西の翠渓」とたたえられるが、大阪の島之内高女に赴任後、肺患のため帰郷した。歌集に「翠溪歌集」(大正2年)がある。平成7年生地の浜坂町で前田純孝賞が制定される。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報