前原町(読み)まえばらまち

日本歴史地名大系 「前原町」の解説

前原町
まえばらまち

[現在地名]鴨川市前原

江戸時代には横渚よこすか村に含まれ、加茂かも川と待崎まつさき川の間に位置する海岸沿いの町であった。伊南房州通いなんぼうしゆうどおり往還が町の中を通っていた。「廻国雑記」に「まへ原」とみえ、文明一八年(一四八六)清澄きよすみ(現天津小湊町)を参詣した聖護院道興は天津あまつ(現同上)を経て当地に至り、「まへはらの里のうしろの山おろし舟にもみちの錦つむ也」と詠んでいる。しかし前原町は寛永年中(一六二四―四四)までは家居はなく、横渚村前の空地で前原とよばれていたという所伝がある。その後同村の百姓が芝地を開拓し、寛永一九年に同村の見取場として取立てられ、町名も付けられた。寛文元年(一六六一)には同村のうち一町二反余を前原屋敷に組入れている。延宝期(一六七三―八一)に紀州須原すはら(現和歌山県湯浅町)よりまかせ網漁が導入され、以後他国の商人たちが店を作り町並が形成されたという(文政一三年「分郷之儀に付訴状」「分郷一件横渚村返答書」四宮家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報