円融寺跡(読み)えんゆうじあと

日本歴史地名大系 「円融寺跡」の解説

円融寺跡
えんゆうじあと

平安時代中期に建立された四円しえん寺の一。跡地は現龍安寺(京都市右京区龍安寺御陵ノ下町)の位置とされる。天元六年(九八三)三月二二日に円融天皇の御願によって新造された寺院(「日本紀略」永観元年三月二二日条)、「仁和寺諸院家記」(顕証本)に「円融法皇御建立、永観元年三月廿二日被供養、導師寛朝大僧正、同廿五日納封百戸云々」とある。「古徳記」(仁和寺諸院家記)には「円融寺、寛朝僧正禅室也」ともあり、もともと落慶供養に導師を務めた宇多法皇の孫で、京都仁和寺で出家した寛朝僧正の禅室であったらしい。この時の供養については「日本紀略」に「新造御願円融寺供養、准御斎会、行事大納言源重信、権左中弁同致方等也、参議大江斎光作願文、佐理卿清書、大僧正良源為講師、権僧正尋禅為呪願、今日可行幸之由被仰下」とあり、「扶桑略記」には寺観について「安置七仏薬師像、池東建法華堂」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報