六分用水(読み)ろくぶようすい

日本歴史地名大系 「六分用水」の解説

六分用水
ろくぶようすい

小県郡の北東三方さんぼうヶ峰やまる山麓から流れ出す塩沢しおざわ川(下流を今は所沢しよざわ川という)の水を奈良原ならはらの南方字上横堰かみよこせぎ通称枡場ますば(大枡分・大水分・石ふさぎともよんだ)で二分して、本流を流れて禰津東ねつひがし町・同西にし町・新屋あらや金井かない田中たなか方面を灌漑するものを四分水といい、人工の堰によって東方に導き、新張みはり原口はらぐち別府べつぷ大石おおいし中屋敷なかやしき片羽かたは桜井さくらい方面を灌漑する堰を六分水とよぶ。水量の六分を流すためにこの名がつけられたと伝える。延長およそ六キロ。

六分水の開削時期は不明だが、「延喜式」左馬寮の中に信濃一六牧の一として「新治牧」が記され、「吾妻鏡」文治二年(一一八六)に信濃二八牧の一として「新張牧」の名がみえ、この牧と関係の深かった禰津氏による開削が推測される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報