公孫弘(読み)こうそんこう(英語表記)Gōng sūn Hóng

精選版 日本国語大辞典 「公孫弘」の意味・読み・例文・類語

こうそん‐こう【公孫弘】

中国前漢学者政治家。字(あざな)は季。武帝の時、博士から丞相となり、平津侯に封ぜられた。(前二〇〇‐前一二一

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改訂新版 世界大百科事典 「公孫弘」の意味・わかりやすい解説

公孫弘 (こうそんこう)
Gōng sūn Hóng
生没年:前200-前121

中国,前漢武帝時代の宰相。字は季。薛(せつ)(山東省滕県)の人。家が貧しく養豚を業としていたが,40余歳にして《春秋》の説を学び,武帝の初め60歳で賢良に推挙され,博士となった。態度は謹慎,法律や行政に精通し,しかもそれを飾るのに儒家思想を用いたことが評価され,累進して前124年に丞相となり平津侯に封ぜられた。粗衣粗食して賢士を招き,賓客を養ったが,性格は外面は寛大にみえて内は陰悪,主父偃(しゆほえん)を殺し董仲舒(とうちゆうじよ)を膠西(こうせい)に左遷したのは彼の策謀によるといわれる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「公孫弘」の意味・わかりやすい解説

公孫弘
こうそんこう
Kong-sun Hong; Kung-sun Hung

[生]高祖7(前200)
[没]元狩2(前121)
中国,前漢の宰相。し川,薛 (山東省滕県南東) の人。 40歳で『春秋』の説を学び,前漢の武帝初年に 60歳で賢良の士に推挙されて,博士の官となった。一時官を退いたが,元光5 (前 130) 年に再び推挙されて賢良,文学の試験を受け,第1位の成績で博士の官に任じられ,内史,御史大夫を歴任して,元朔5 (前 124) 年に丞相となり,平津侯に封じられた。丞相封侯の初めである。元狩1 (前 122) 年に淮南王,衡山王謀反を起すと,責任を負って辞任を申出たが許されず,翌年病死。

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