八雲 数枝(読み)ヤクモ カズエ

20世紀日本人名事典 「八雲 数枝」の解説

八雲 数枝
ヤクモ カズエ

明治〜昭和期の社会事業家



生年
明治13(1880)年11月18日

没年
昭和43(1968)年9月27日

出生地
新潟県中頸城郡三郷村

旧姓(旧名)
姫宮

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和26年〕,勲四等瑞宝章〔昭和39年〕

経歴
明治29年鳥取県倉吉の妙寂寺住職で社会事業家の八雲竜震と結婚。孤児保護の必要性を痛感していた夫に協力し、39年妙寂寺の域内に私立因伯仏教孤児院を開設。以来、その庶務や炊事洗濯から質屋に通っての資金調達までを一手に引き受けた。45年に同院は財団法人として認められ、因伯保児院に改称。のちには院の子供たちで楽隊を組織し、活動写真とともに僻地巡業を行うなど、地域文化の発展・交流にも貢献した。他方、仏教婦人会や国防婦人会などでも活躍し、夫の死後民生委員などを務めた。昭和26年には藍綬褒章、39年には勲四等瑞宝章を受章。死の直前まで孤児の養育心血を注ぎ続けた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報