八重練村(読み)やえねりむら

日本歴史地名大系 「八重練村」の解説

八重練村
やえねりむら

[現在地名]多賀町八重練

大岡おおか村の北東にあり、西部をせり川がよぎる。天正一〇年(一五八二)八月二一日の多賀政勝・堀秀政連署状(多賀文書)に多賀貞能の隠居分として村名がみえ、沽却銭として八貫文が充てられている。慶長高辻帳に高三一九石余とある。元禄八年大洞弁天寄進帳によれば男一二六・女一三八、寺社方男五・女二。天明元年(一七八一)これまで石灰釜は当村与惣右衛門・久徳きゆうとく村政右衛門・つき村次右衛門・中河原なかがわら村四郎助・大尼子おおあまご村勘兵衛が七ヵ所もっており、二釜は川除奉行の指図により止めていたが、今度河内山女原かわちあけんばら村・河内宮前かわちみやまえ村に荒地があるので、地主・村方相談のうえ、右場所に石灰釜二釜を建てたいと申出て許されている(龍潭寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報