八女紙(読み)やめがみ

改訂新版 世界大百科事典 「八女紙」の意味・わかりやすい解説

八女紙 (やめがみ)

福岡県八女市で漉(す)かれている,強靱(きようじん)な楮紙(こうぞがみ)。その起源については確証はない。古代の北九州は筑紫を中心として製紙が盛んであったので,近代に八女紙として知られる基盤は早くからあったものと思われる。地元の伝承としては,越前五箇出身の日源上人が文禄年間(1592-96)に廃寺となっていた福王寺(筑後市溝ノ口)を再興するとともに,矢部川の良質な水とコウゾの多いことから紙漉きに適すると判断して,故郷から3人の紙漉き職人を呼んで溝口紙として発展させた。のちに肥後など九州の各地に溝口紙の製法が伝承されたので,日源上人は九州製紙の開祖としても敬われている。江戸時代には矢部川流域から,奉書紙,板紙(はんがみ),中折(なかおれ),清帳(せいちよう),半紙などが産出され,柳川の紙商を通じて大坂の市場などに送られ柳川物と総称された。明治時代以後には,中国大陸に輸出された東洋紙(のちに和唐紙という)や女性の懐中紙として使われた京花紙(きようばなし)などを盛んに漉いたが,いずれも現在は絶えてしまった。そのほかに提灯紙も漉いていたが,用途が絶えたため1970年ころからは表装紙(表具用紙)を主体に漉いている。八女紙は城北(じようほく)楮(八女郡と隣接した玉名鹿本・菊池郡一帯から産する)を原料とするが,このコウゾの繊維は非常に長く,太く粗野で結束が生じやすく,たいへん扱いにくい。この原料を巧みに処理することによって,強靱で雅味に富んだ楮紙が漉かれている。現在,八女紙の製紙家は八女市柳瀬を中心として,矢部川流域に分布している。
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