倉知 誠夫(読み)クラチ マサオ

20世紀日本人名事典 「倉知 誠夫」の解説

倉知 誠夫
クラチ マサオ

明治〜昭和期の実業家 三越会長。



生年
慶応3年3月(1867年)

没年
昭和10(1935)年5月3日

出生地
加賀国金沢(石川県)

学歴〔年〕
慶応義塾〔明治23年〕卒

経歴
明治23年玩具を仕入れて米国・サンフランシスコに渡り露店商人として販売、これを元手竹細工の椅子・テーブルの類を製作販売して商売に成功したが、父の死で、27年帰国。28年明治火災保険に入り、32年村井兄弟商会に転じた。37年同社が解散とともに朝鮮仁川に渡り倉知商会を起こし、英米煙草会社の一手販売を引き受けたが、間もなく廃業する。39年取締役支配人として共同火災保険に入り、のち専務を務める。大正7年三越呉服店(現・三越)に転じ、同年常務、9年専務に就任、昭和4年会長となる。5年病を得て退任したが、その後も取締役として経営に関与した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報