倉田新田(読み)くらたしんでん

日本歴史地名大系 「倉田新田」の解説

倉田新田
くらたしんでん

[現在地名]岡山市倉田

平井ひらい村の東にある。岡山藩が延宝七年(一六七九)みさお山南方の葦原を開発、三分化した倉田・倉富くらとみ倉益くらますの三新田のうち最西部にあたる(撮要録)。総反別二九三町余・高五千余石の三新田の開発指揮にあたったのは津田永忠で、倉安くらやす川はこのときに吉井川・旭川を結ぶ運河機能、三新田の灌漑用水確保の目的で開削された。貞享四年(一六八七)新田検地にあたっては、六尺五寸竿(通常六尺三寸竿)を使用して丈量を緩やかにし、一年間は貢租免除としたところ、入植希望者の新田請込希望は開発面積の約三倍、九二二町余に達した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の倉田新田の言及

【児島湾】より

…17世紀後半になると,藩主池田光政は津田永忠を起用して藩営新田の造成に主力を注いだ。最初の藩営新田は1679年(延宝7)に完成した倉田新田(300町)で,ついで84年(貞享1)幸島(こうじま)新田(562町),92年(元禄5)沖新田(1540町)が造成された。藩営新田の開発経費には,津田永忠が企画した社倉米制度による利米銀が投入された。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」