保奉行人(読み)ほぶぎょうにん

改訂新版 世界大百科事典 「保奉行人」の意味・わかりやすい解説

保奉行人 (ほぶぎょうにん)

鎌倉幕府の職制。1238年(暦仁1)に上洛して京都の警固体制を整備した北条泰時は,鎌倉に帰ると京都にならってという行政単位をしき,保官人(検非違使)にならって保奉行人を置いた。保奉行人は鎌倉中の地域別(保)の警備担当者であり,40年(仁治1)に鎌倉中に出された法令によれば,盗人,悪党以下の雑人の取締りや商売統制を任務の中心としている。その点で御家人を対象とする侍所とは管轄を異にし,雑人の裁判権をもつ政所の指揮下に属していた。鎌倉の保の数は明らかでないが,京都よりやや少ない8~10程度とみられ,保奉行人には保官人の場合から推定して政所寄人が任ぜられたとみられる。保奉行人を直接統轄した地奉行(じぷぎよう)には,当初政所職員1人が任ぜられていたが,やがてそれに得宗被官(北条氏家人)が加えられ,得宗の鎌倉中支配は一段とすすんだ。室町幕府は京都を本拠としたため,検非違使による保官人があって,保奉行人の制はなくなる。
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世界大百科事典(旧版)内の保奉行人の言及

【鎌倉[市]】より

… いうまでもなく鎌倉は,将軍の居所,幕府の首都ともいうべき都市で,将軍の直轄支配下におかれていた。幕府は京都の制度を導入して鎌倉でも家地の単位の戸主(へぬし)(50平方丈),家の集合体としての保(大きさは不明)の制度を作り,保ごとに保奉行人をおいて管理に当たらせた。そして保奉行人を統轄し,鎌倉を支配する地奉行を任命した。…

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