佐須奈村(読み)さすなむら

日本歴史地名大系 「佐須奈村」の解説

佐須奈村
さすなむら

[現在地名]上県町佐須奈甲さすなこう佐須奈乙さすなおつ

対馬島の北西部にあり、深い入江に恵まれ、朝鮮半島に通交する船の重要な泊地であった。中世よりみえ、府中ふちゆう(現厳原町)から二〇里六町で、村内は佐須奈・日吉ひよし大内おおちに分れる(津島紀略)。佐須奈の旧称大戸おおとで、現在も字名としてある。土居奈どいなの浜に関所が設けられ、御番所ごばんしよ地名が残る。遠見番所が置かれた山は遠見とおめとよばれる(元禄一三年対馬国郡絵図)。慶長五年(一六〇〇)武田喜兵衛は朝鮮出兵に際して功があったとして「佐護郡佐須奈村」の糸瀬知行分を宛行われたが、その内訳は佐須奈・佐護さご壱岐の給分として「船蔵の畠麦六升まき」、東西の境を「ひよしのめんてん」とする「地主の畠弐斗六升まき」、「はつはうかひらこはそは二升まき」、「大田原の田壱升五合おろし」、「やなきはまのうねひら、壱斗五升まき」など、畠麦四斗入二俵三斗二升五合蒔・同畠上中四斗四升蒔・同下畠六斗八升五合蒔、木場麦三斗九升蒔、田籾一斗三升五合おろしであった(同年三月「宗義智給分坪付写」佐護郷給人等判物写)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報