伏見宮家(読み)ふしみのみやけ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「伏見宮家」の意味・わかりやすい解説

伏見宮家
ふしみのみやけ

親王家(ししんのうけ)の一つ。北朝崇光(すこう)天皇の皇子栄仁(なかひと)親王より始まる。楽道(とくに琵琶(びわ))の家。また記録、文学を多数蔵した。初め京都の南の伏見荘(しょう)に住んだのでこうよばれた。南北朝内乱最中、皇位継承権から外され不遇であったが、3代貞成(さだなる)親王の皇子彦仁(ひこひと)親王が後花園(ごはなぞの)天皇としてたったのち、家領も増え、家格が高まった。明治維新以降、1945年(昭和20)の敗戦までに設立された宮家は、大正天皇の直宮(じきみや)3家以外すべてこの宮家の系統である。1947年(昭和22)皇籍離脱により消滅した。

[飯倉晴武]

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世界大百科事典(旧版)内の伏見宮家の言及

【崇光天皇】より

…98年1月13日65歳で死去。子孫は伏見宮家となり,曾孫彦仁親王は皇位を継いで後花園天皇となった。陵所は京都市伏見区桃山町の大光明寺陵。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」