人見弥右衛門(読み)ひとみ やえもん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「人見弥右衛門」の解説

人見弥右衛門 ひとみ-やえもん

1729-1797 江戸時代中期の武士
享保(きょうほう)14年10月24日生まれ。尾張(おわり)名古屋藩士の叔父人見貞安の養子となり,藩主徳川宗睦(むねちか)の長男治休(はるよし)の侍講をつとめる。治休の死後は用人となり,治水工事などをおこなう。のち勘定奉行をかね,農政改革をすすめた。寛政9年2月2日死去。69歳。江戸出身。名は黍。字(あざな)は叔魚。号は璣邑(きゆう)。
格言など】寛ならざれば和はならず,和と思うても同に陥るなり(「人見弥右衛門上書」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「人見弥右衛門」の解説

人見弥右衛門 (ひとみやえもん)

生年月日:1729年10月24日
江戸時代中期の尾張藩士
1797年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報