朝日日本歴史人物事典 「井上因碩(11代)」の解説
井上因碩(11代)
生年:寛政10(1798)
江戸末期の囲碁棋士。本姓橋本。6歳で服部因淑の門に入り,服部因徹,のちに立徹と改名。文政2(1819)年,井上家跡目となり井上安節と名乗った。7年11代を継ぐ。隠居して幻庵,橘斎と号した。11年,準名人(八段)に進む。名人碁所を目標に努力,天保10(1839)年12世本因坊丈和引退を機に名人碁所の願いを出すが,翌年13世本因坊丈策の跡目秀和との争碁に敗れた。このときの確執を「天保の内訌」という。雄大な碁で元丈,安井仙知(8代),秀和と共に四傑と呼ばれる。清国に渡ろうとした野心家でもあった。『囲碁妙伝』『奕図』などの著書がある。<参考文献>荒木直躬『本因坊丈和全集』(歴代名人打碁大系),橋本宇太郎『幻庵因碩』(日本囲碁大系)
(谷口牧夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報