五串村(読み)いつくしむら

日本歴史地名大系 「五串村」の解説

五串村
いつくしむら

[現在地名]一関市厳美町げんびちよう

赤荻あこおぎ村の西、東流する磐井いわい川北岸の河岸段丘と丘陵上にある。西は出羽国雄勝おがち郡、南は猪岡いのおか村。磐井郡の西端にあたる。ほぼ東西に院内いんない街道が走る。村名は本寺ほんでらの山王社が往古厳宮いつくしのみや大明神・麗美いつくし宮などとよばれたことにちなむとも、往古吾勝あかつ厳美いつくし村とよばれたことによるとも伝える(安永風土記)。本寺は平泉野ひらいずみのともよばれて平泉旧地ともいわれ、長治年中(一一〇四―〇六)中尊寺・毛越もうつう寺とも当地から北東平泉へ移ったと伝える。平泉野には法範ほうはん寺跡・中尊寺跡・法福ほうふく寺跡などが残っていたという(同書)。本寺は平泉中尊寺経蔵領骨寺ほねでら村の遺称地とされる。天正七年(一五七九)三月二七日の葛西晴信知行宛行状(中尊寺文書)によれば、富沢日向守の反乱の際の戦功により、石川丹波守に「岩井郡之内五串村」の五千刈が宛行われた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報