乃白村
のしらむら
[現在地名]松江市乃白町・浜乃木七―八丁目
福富村の南に位置し、東南は奥山・田中山を境に大庭村、西は大久保田山を境に布志名村(現玉湯町)。村のほぼ中央を忌部川が流れ、当村から下流は乃白川とも称される。野白とも記す。「出雲国風土記」によると、正西道は出雲国府の北にある十字街から西へ一二里進むと長さ六丈・広さ一丈五尺の野代橋に至ると記され、この橋は地内の乃白川に架けられていたとされる。中世は乃白郷に含まれていたとみられる。正保国絵図に野白村とみえる。元禄十年出雲国郷帳では乃白村とみえ、高五二三石余、寛文四年(一六六四)には本田高五〇八石余・新田高一石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報