丹羽村(読み)にわむら

日本歴史地名大系 「丹羽村」の解説

丹羽村
にわむら

[現在地名]一宮市丹羽

東は丹羽川を境に時之島ときのしま村、北は西浅井にしあざい村に接する。「和名抄」所載の丹羽郡丹羽郷の故地という。

「徇行記」によれば本田概高一八〇石余で田二反余・畑一七町九反余、ほかに丹羽新田七四石余の合わせて二五四石余のうち一九六石余は四人の給知。寛文元年(一六六一)に丑新田検地で高二一石九斗余、元禄九年(一六九六)にさらに丑新田を拡張して高一〇石三斗を増した。臨済宗の恵日山東光とうこう寺は承応三年(一六五四)滅心の草創で、初めは大江おおえ通り川東にあって首玉しゆぎよく庵といったと伝える。

村柄について「徇行記」は「郷内ハ広クシテ戸口多、耕田不足ナル故ニ、一ノ宮村ノ高ヲ越高ニテ多ク控ヰルト也、農家ハ宮田渠ノ西ニ建ナラベリ、畠多キ村故ニ茶圃入交リ桑樹ハナシ、皆砂地ナリ、農業ヲ以テ専ラ生産トス、其内少シ蚕飼ヲシ、又米薪ナト商フ者モアリ、薪ハ濃州黒瀬湊(木曾川沿岸)ヨリ河田村ヘ薪船ヲ着ルト也、又茶ハ稲葉宿アタリヘ売ツカハス、此村ハ少高故ニ皆高ヲ少シツヽ控ヘ、小百姓バカリ也」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報