串木野城跡(読み)くしきのじようあと

日本歴史地名大系 「串木野城跡」の解説

串木野城跡
くしきのじようあと

[現在地名]串木野市上名

東シナ海に注ぐ五反田ごたんだ川下流域の左岸沿い、標高三〇メートルを最高地点とするシラス台地先端とその周囲に築かれた山城。「薩隅日三州他家古城主来由記」「雲遊雑記伝」は一三世紀初頭の串木野忠道を最初の城主と伝える。忠道は薩摩平氏の一族頴娃忠永の子成枝忠直の第三子で(「平氏系図」指宿文書)、承久二年(一二二〇)には串木野村領主であった(同年二月日「平忠道寄進状」旧記雑録)。忠道・忠行・忠秀・平次郎と続いて、平次郎の子忠秋のとき守護島津貞久が隣接する市来いちき(現東市来町)を攻め落した際に当城も攻略され、忠秋は一族知覧氏を頼って南薩に逃亡したという(雲遊雑記伝・三国名勝図会)。これは暦応三年(一三四〇)と思われ、この直前に当城が築かれたと推定される。それ以降は守護島津氏が当城を領した。

文和四年(一三五五)九月二日、南朝方の三条泰季に属した市来氏家・鮫島蓮道・知覧忠世・石堂彦次郎入道らが当城を攻撃してきたので、出水の知色いずみのちしき城にいた守護島津師久は直ちに当城へ出陣し、五日間の合戦でこれを撃退した(同年一一月五日「島津師久目安状」北郷氏系図)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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